「親父が、15年前、深センで100万円が入ったカバンをスリに盗まれて。それを『中国で絶対に取り返してやる!!』と」。
意外な、中国進出のきっかけに少し驚いた。面白いことを言うと思った。最初は、不慣れなインタビューに少し照れながら、しかしものづくりの話になると饒舌になってしまうのがなんとも「製造業の人」らしいではないか。
黒澤文武。父と共に中国・深センに渡って早11年、秩父精密産業(本社埼玉県)の2代目、秩父精密産業(深セン)有限公司の総経理を務める。
中国歴11年の36歳など、そういない。彼が中国に渡ったのは25歳の時ということになる。「苦労をどうやって乗り越えてきたか?うーん、忘れちゃった」。「辛くても、ご飯が食べられれば大丈夫なんじゃない?」。さすが、年季の入っている人は言うことが違う。
「それでも、周りの駐在員の方たちが3~5年で帰任していくのを見送りながら、正直『いいいなー』って、思っていましたよ」。そう言って笑顔を見せたかと思うと、「でも、僕は2代目だから逃げられないでしょ」と真剣な顔を見せる。
中国進出から約1年後、メインの取引先が倒産した時が最初の試練だっただろうか。父と共に色々な人の助けを得ながら、ここまでやってきた。「人は一人じゃ何も出来ない。そう思いませんか?本当に、全ての方々に感謝です」。
その、メインの取引先を失う経験に培われた能力なのか?それとも元々そういう性格なのか?どちらにしても、今なお楽しみながら、新しい可能性を模索する黒澤は、生き生きと見えた。仕事をするなら、こういう人としたいものだ。
そんな黒澤が今までで一番辛かったこととは?ありきたりなのかも知れないが、それは「中国人と日本人の『常識』『意識』のギャップ」だ。これには大陸に渡って、5年もの間、苦しめられたという。中国人部下が自分について来ていないことも感じた。辛かった。同様にスタッフからの信頼を得られぬまま、日本へ返した駐在員もいた。
「5年くらい苦しんだかなぁー」。黒澤の、おっとりとした口調。その裏にはどれ程の苦労が隠されているのだろう。3年や5年では帰れない。2代目だから、逃げられない。
11年。その年月が黒澤、そして秩父産業精密に与えた恩恵は大きい。「うちは競争力あると思うよ」。言葉少なに、他人事のように、黒澤はぽつりぽつりと語ってゆく。「でも華南も競争が厳しいからね。これからは華東も荒らしにいくつもりだよ(笑)」。
最後に、お決まりの質問をぶつけてみた。
「今後の展望?うーん、欧米系のお客様を増やして行きたいね」。
理由を問うと、苦労のにじんだ白髪の36歳は、「外国人がたくさん会社に来たら楽しそう、でしょ」。こちらをまっすぐに見据え、そして少しはにかんだ笑顔で、そう答えた。 |