「ドアにスプリングが付いているんですよ」
開けたら閉めるように社員らに言っていたが、なかなか徹底されない。さらにしつこく言い続けると、ある社員がドアにゴムをつけた。なかなかの出来だったが、ゴムはそのうちに切れた。次にはスプリングを取り付けたが、このスプリングは強すぎた。次にその社員が取り付けたのは少し弱いスプリング。1年後、ようやく木製の自動ドアが完成した。
「僕は何も言わないで、皆がアイディアを実行に移す様子を見ていました。スプリングをつけてと指示すれば、すぐにスプリングは付くだろうけど、彼らの中ではその一瞬で終わってしまって何も残らないから」
武田氏のモットーは中国人の考え方を尊重し、日本のやり方を押し付けないこと。十分に説明したうえで、彼らと一緒に成長していくこと。間違いを通じて、二度目の間違いが起きないようにすること。それはきっと最も骨の折れるやり方に違いないが、一歩一歩ゆっくりと進んでいきたい。進歩のプロセスが力になると信じている。
「先進国の日本だって、そのプロセスを経て今があると思うからです」
板金プレス、機械・溶接加工を行う昆山能瑠環精密金属加工有限公司は、2002年5月に設立された。0.6mm~16mmの鉄材、ステンレス、アルミ材の加工を小ロット1個から数十万個まで対応している。中国では発注数量や仕入れなどの制限を受けやすく、多くの日系企業が発注先を見つけられない状況にあるが、同社はバイクの研究開発のための試作品などやりにくいものも積極的に取り組み、「困った時にも頼れる会社」として顧客からの信頼を得ている。トラックやフォークリフト部品用の中国調達9mm鉄材の加工など自動車関連がメインだが、電子機器部品も手がける。パソコンのHDDなどの部品を生産する長野県諏訪市の精密金属加工企業・株式会社ソーデナガノも出資しており、精密加工も対応できるよう現在準備中だ。武田氏のほかに社員は日本人が1人、他に70名の中国人がいる。昆山市にある普通の中小企業であるが、ひとつだけ特別なのは、この中国法人に日本本社はなく、今年36歳の武田氏が経営しているということだ。
もちろん武田氏自身も、自分が外国で会社を経営することになるとは思ってもみなかった。
一般的なサラリーマン家庭の一人っ子として育った。子供の頃から機械いじりが好きで、大学では自動車部に入るほどのクルマ好き。卒業後は大手自動車メーカーの第一下請け企業に勤めた。自動車レースに夢中で、クルマを5台買い換えた。31歳の時、会社が中国に進出することになり、自ら手をあげて立ち上げに参加した。誰も行きたがらないので、行ってみようと思った。ワンマン社長に従うだけの同僚が多いなか、自分の考えを主張する武田氏は浮いた存在ではあったが、実績を出すことで周囲を納得させようといつも人一倍努力していた。駐在員として1人で昆山に到着、工場予定地の草むしりから始めた。工場が建ち、従業員を30人雇い、順調にスタートした。初めての社長業はやり甲斐もあり、充実していた。
2年が経とうとしていた時、日系自動車メーカーが外資に買収された。その後に行われた工場閉鎖や下請け統廃合の煽りを受け、財政的に厳しくなった日本本社は中国法人の閉鎖を命じた。ショックだった。せっかく作り上げたものが、たったひとつの指令で崩されてしまう。30人の社員はどうなるのか?そんな無責任なことができるものか!何とか続けていく方法を模索していたところ、幸運にも㈱ソーデナガノ早出社長にめぐり会えた。日本に帰ると武田氏は会社を辞めた。そして、自分が持っていた物を全部売り払って捻出した少しばかりの資金を全て投じ、中国法人の経営者となった。33歳だった。本人は「決断が大きいか小さいかさえ、よくわかっていなかった」と当時を振り返る。だが、ひとつの選択をすれば捨てるべきものも自ずと決まる。日本の平凡な会社員として無意識に享受しているものが多いことに、初めて気付いた。
経営者の仕事は、それまでのサラリーマン社長業とは全く違っていた。営業しないと仕事は来なかった。お金の借り方を知らなかったが、中国には借り先もなかった。従業員の給料を支払った後に残りがなければ、自分の給料がゼロなのを知った。やりたくないことはやりたいことの10倍もあった。「経営者になったのは失敗と思ったことは1000回以上」あった。それでも辞めないのは、「苦しくてもつらくても目標に向かって頑張る人生なら、楽しみもずっと続くから。つらいからこそ楽しい」
現在の目標は出資者のために、できるだけ早く精密加工の量産化を実現し、グループ内の中国拠点として機能させ、さらには中国市場への窓口として大きく発展させることだ。
「個人として、夢はありますか?」
と尋ねると、
「いつか自分のクルマを作りたい」
楽しそうに、そう答えた。子供の頃からの夢なのだろうなと思った。
毎日のつらさや苦しさも、きっと彼の夢を裏切らないだろう。 |