「中国といえば、ガソリンとスイカ」。
80年代から中国での事業に関わる商社マンの口から出たのは意外な一言。
「当時の中国は精製の悪いガソリンとスイカの食べかすが腐った臭いで満ちていましたよ」と語るのは兼松上海の新谷浩之。
新谷が中国と関わるきっかけになったのが83年。入社2年目のことだ。もともと欧米向け輸出を担当していたが、人手不足で中国輸出担当になった。
当時の中国は現在の経済成長の影も形もない状態。まだ人民服を着ている人が多かった。
上海の事務所の近くに人民政府があり、スイカを山ほど載せたトラックがその周辺をうろうろしていたという。「人民政府のボーナスはスイカだったみたいだよ」。
90年代はアメリカ向けのオートバイクラッチを担当し、アメリカ・シカゴに渡った。あのハーレーの中にも取り扱ったクラッチが組み込まれている。警察学校での試乗審査にも立ち会った。
「どこに行ってもその土地に足が着くには2年かかる」。中国、アメリカというスケールが大きく文化の違う2国だが共通の苦労がある。やはり現地スタッフが何をしたいのか、何をしたくないのかを把握するのに時間がかかるという。
2005年、再び中国の大地を踏んだ。約15年、中国の変化は著しいものだった。
「昔は中国の中の中国を相手にしていたけど、今は中国の中の外国を相手にしている仕事がほとんど。でも再び中国の中の中国にも入っていかないと」。今後は化学品、自動車関連部品にも手を伸ばしていきたいという新谷は自社のことをこう言う。
「うちはコンビニなんです。この前、無錫にもコンビニを出したばかり」。
売りたい製品がすんなり売れたためしはない。はじめは顧客が欲しいもののヒアリングからはじまる。そのうちにコンビニ=便利な店として顧客との信頼関係を深めてきた。ハーレーに採用されたのも、もともとは燃料バルブを売り込みに行ったのがきっかけだ。
『コンビニ』と冗談まじりに語りつつも、その口調は自信と裏を見せない商社マンのポーカーフェイスに思われた。
「中国といえば、ガソリンとスイカ」。言い方を変えれば「中国といえば、資源と食品」。この2つは兼松上海の事業の一角でもある。現在一番ホットな話題を当時すでに見越していたのかもしれない。 |